Blog型メモ帳 Ver.2019.08.20

ダラダラとそこはかとなく。Webメモ帳。日記。内容無し駄文。Wired思考アーカイブ。(1999/1/7~)

人の意見、話を聞くことの重要性

大きく反省すべきことがあったので教訓として残す。

今日弟とコロナウイルスの政府の対応について話したが、弟の話を聞いてこれ話しても無駄ではないかと思い話すのをやめてしまった。その際、それでは会話にならないと怒られてしまった。たしかにそうだと思った。そして、年寄りにありがちな人の意見を聞かない人間の態度だったと思った。大いに反省すべきことだと思う。歳を取ると自分の意見が凝り固まってしまい、人の意見を聞かなくなる。それに、自分のほうが物事を知っている、正しい意見を知っているという固定観念を持つようになってくる。要するに頭が固くなるのだ。そして人をいつのまにか自分より物事がわからないと見下した見方をするようになる。非常に危険な兆候だ。自分は今までなるべく人の意見を聞いてそれを自分の意見と比較しながら物事を考えるようにしてきたつもりであった。しかし、いつの間にか人の意見を間違った、自分より劣った考えだと決めつける考えが出てきてしまったようだ。それに気付かず、最初から頭ごなしにお前がそう思うならそれでいいよ、お前の中ではそれが正しいんだろ、といった態度になってしまった。反省すべきだ。仕事もそうだが若い頃先輩社員が人の意見など聞いてくれなかったり、今でもそうだが自分の意見が正しいと一方的に押し付けてこちらの意見を聞かない人たちがいて、そういった人たちを軽蔑していた。自分が年をとってもそういった人間にはならないぞと考えていた。しかし、そう思っていても実際年をとってみると他人の意見が耳に入らなくなってくる。自分の中で自分の意見が正しいという固定観念が生まれ、他人の意見を聞いてそれを自分の中で消化するのが億劫になってくる。反対意見を言われると、自分の考えが否定されたようでイライラとする。いつのまにかこんな人間になってしまっていた。自分の軽蔑していた連中とこれでは一緒ではないか。それに気付かせてくれた弟には感謝したいとおもう。どうしても他人では素直になれないし、顔を合わせて話すわけではないネット上の意見など誰が言っているかわからない言葉には、自分の考えをもう一度見つめ直させてくれる力はないと思う。とにかく、もう一度謙虚に人の意見を聞いて話ができるような人間になるため、ここに反省として記録を残す。